幸せと不幸せ
今日は借りてきたDVDを観ました。1人なので家族の好みを気にせず気の向くままにDVDをチョイスしました。
観たのは、自虐の詩という邦画です。
子供の頃からずっとドン底に不幸な主人公の女性と元ヤクザで現無職の内縁夫の話しです。
『幸も不幸もどっちも必要なもので、人生には価値がある』
とのことです。
終始ギャグが散りばめられていて面白かったし、後半すごく泣きました。幸せとはどういう事を言うのかと主人公が悩む…ってとこからずっと泣きっぱなしで、最早何に泣いているのか途中で分からなくなる程泣きました。自分が幸せかどうか考えて、分からなくてまた泣きました。
その後、実家から届いた荷物に入っていた家族からの手紙にまた泣いて。
今日はもしかして、充実した良い日だったかも。
自虐の詩は四コマ漫画が原作だそうです。読んでみたいな。図書館で探そうと思います。
図書館といえば、図書館で山田花子さんとつげ義春さんの本を別の館から取り寄せ予約しました。吾妻ひでおさんの本を読みたかったのですが、これも近所の図書館には無かったので今度取り寄せたいです。私の読みたい暗い本が近所の図書館では置いてなくてちょっと不満。
土地柄かなぁ。
今はお布団に入ってゴロゴロタイムです。借りてきた本を読むかネットで殺人事件記事を読むか、どっちかしてそのうち寝ます。
診察日
今日は診察日でした。
前の2週間に比べたらこの2週間はとても調子が良かったです。いつも通り死にたいと思ったり、仕事で何日か張りつめる事はあったけれどよく喋ったし笑顔もちゃんと出来ました。
ただ、過食気味なところはまだ治りません。前の診察から追加で出ているデプロメールが過食に効くのでサインバルタからデプロメールへ今後移行するそうです。
ところで、この前の祝日はなんと日中に1人でブラブラと買い物へ行く事が出来ました。(と言ってもしまむらだけど…。)
今日も10時頃から布団を干して徒歩で外出。散歩→図書館→公園→1人ラーメン→メンタルクリニック→ゲオ と、5時間ほど近所をウロウロしました。通院以外は思い付きで動いていたのがカナリの進歩です。
今までは目的地へ直行直帰が基本でした。外に出たくない、人のいる所に居たくないからです。それもなるべく暗くなってから行動していました。
先日の外出時も今日も、外は人が多くて緊張したけれど途中で泣きたくなったり怖くて早く帰りたいと思う事はありませんでした。
来週もこんなだったらいいなと思います。あとは、また飛び降り自殺の妄想とリストカットの妄想が無くなればいいなと思います。
傷つくこともある
付き合いの長い友だち2人が相次いで子どもを産んでからしばらく経ち、2人は最近それぞれ第二子の計画を立てているようです。
私はここ何年か甥っ子や友だち達の子どもと遊ばせてもらって、1年くらい前からやっと純粋に子どもが欲しいと思えるようになってきました。それまでは、自分に育てられる子どもがいたらそれは大変不幸な事だ、とか、この世に生まれてくること自体が可哀想だと本気で思っていましたから、自分は子どもを持ってはいけない人間なんだと思っていました。
今でも、上記の気持ちはあるけれどやっぱり家族は多い方が楽しいかな。と思ったりもします。その時々の精神状態によって思う事にバラつきはあるけれど。
ところでタイトルの話ですが、『1人目は今の年齢で産んでおかなきゃ!』と言って数年前に計画的に妊娠出産した友だちに、妊娠中に言われた事がそれです。
何歳までに第一子を産んだ方がいいとかそういった話を何人かでしている時に、私は『いずれは産まなければいけないけれど、今は金もないし私には育てられる気がしないし…』みたいな話をしたと思います。その場では鬱病が理由の一つなのは言わなかったけれど、みんな私の過去はなんとなーく知っている人たちです。
その帰り際に友だちから、『妊娠出産についてちゃんと考えなよ〜?』と言われました。
傷つきました。
出産にはリミットがあるし早い方が良いに決まってるのは分かっているんだけど、私は精神が不安定で妊娠出産計画をするスタートラインにすら立ててないんだ。
精神が健康になるまで子育ては出来ない、子どもに不安定な精神を受け継がせる訳にはいかないから。
こんな感じに言えたら良かったのだけど私の鈍麻な頭では言葉は出て来ず、静かに傷つくだけなのでした。
滅多に傷つくことのない私が傷ついた昔話。でした。
無理かと思った
今週は週始めから精神的にしんどくて水曜日辺りは危うく仕事を休みそうになりました。
会社でもあまり笑わないし会話にも混ざらないようにしてるから印象悪いと思います。人に優しく出来ないし愛想笑いも出来ない。元気も気力もなくて仕事もなかなか進まなくて、負のスパイラルに陥っていました。
なんとか騙し騙し勤務してやっと金曜日が終わりました。辛かったです。
でもみんなも辛いでしょう。それでも周りに気を遣って、笑顔で頑張ってるんですよね。友だちをたくさん作って人間関係上手くやっていくには、そんな大人にならなくてはいけないのです。
精神的な体力が足りないようですね。
来週はもうちょっとマシな毎日を送れたら嬉しいです。
カウンセリングの記録
この間のカウンセリングで言われたことを忘れないうちに書いておこうと思います。断片的になりますが一つ一つ。
今回のカウンセリングも初めてのカウンセラーさん。40代くらいの学校の先生みたいな見た目の女性。部屋は前回と同じでした。
内容は、鬱になってからの10年間をカウンセラーさんが挟む質問に答えながら話していき、所々カウンセラーさんが私を褒めたり私の性格や性質の傾向を教えてくれたりしました。
鬱になってから初めて行った精神科のことを聞かれました。正直、カナリこわい先生でこんなおっかない人に自分の気持ちなんて話せないよ〜と泣きっ面に蜂状態で2回くらいしか通わなかったと記憶しています。その通り話したけど、なぜこれを聞かれたのかは不明。
鬱になって引きこもりになって実家に引き戻されて完全に外に出なくなって…って話をしたら、相当辛かったんじゃないかな?頑張ったね!と褒めてくれました。
辛かったけど頑張れなかったから引きこもりになったんだよと心の中で思いましたが、言葉には出来ずただ、頑張っていませんと答えました。
その後も当時の状況や家を出られるようになったきっかけなどを思い出しながらなんとなくの記憶で話しました。カウンセラーさんはメチャクチャな私の話をゆっくり聞いてくれて、そして合いの手のように頑張ったんですね、と何度も言ってくれました。その度に私は頑張っていません、と答えるしかありませんでした。
私は何も成し遂げていないから…と何かの話の際に言ったら、成し遂げるっていうのは自己満足なんだよ、自分が成し遂げたって思ったら成し遂げたことになるんだよ。と教えてくれましたが、そのように考えようとしても私には何もないから困ります。
案の定だけど、自己評価が低すぎると言われました。他には、人の言うことを真摯に受け止めすぎる傾向がある。とのこと。
あと、私が人には迷惑をかけないように、また不快にされないようにしなきゃいけない…というような話をしたら、以前に、そうせざるを得ない状況にあったのかな?と聞かれました。
親に対しては恐怖心があったからそれが当てはまるかな?と思ったけれど、私は手のかかる子だったし親には迷惑もさんざ掛けたし、考え出したら色々矛盾してきたので、分かりませんと答えました。
でも、この質問すごく気になって引っかかります。いつからかそればかり考えるようになったから。
元来私は人見知りはするけど人付き合いは好きな方だったのに、この考えのせいで人と関わるのが怖くなってしまったのです。いつどこからやってきたんだろう。
てな感じでカウンセリングはしんどいながらも結構満足な内容だったのですが、気になる質問のおかげでモンモンとしています。
まだ自分で自分にお金を使うことを許せないのでカウンセリング契約に踏み切れないのですが、出来ればあのカウンセラーで受けたいです。