明日起きたくない

物心ついたころから社会が怖くて仕方ない人間のブログ。

引きこもりになった話1

私は大学院を中退しています。その頃の記憶は鬱が酷かったせいであまりありませんが、二年生になる前、冬の終わりで辞めたと思います。実質半年も通っていません。


19歳頃から課題発表の為に精神科を受診し薬を飲んで凌ぐような、不安定な精神の持ち主だったのでいつ崩れてもおかしくなかったのですが、心が折れた直接の原因があります。


毎週、教授と討論して言葉でケチョンケチョンに踏みにじられる授業がありました。その討論のネタになるレポートに毎回苦悩してはクソみたいな文章を捻り出し、授業で60近いおじさんに毎回言葉で追い詰められていました。最終的には授業当日の朝になってもレポートが一文字も書けなくなってしまったのです。


元々ない脳みそを使い果たし、それまで無理して新しいことを考えて表現しようと、出力ばかりしていたのが一変、受信しか出来なくなってしまいました。しかも、過激な情報は受け付けなくなり、テレビで例えると教育テレビの子ども向け番組しか見れなくなりました。実際見れるテレビ番組はそれだけで民放のアニメもダメだったと思います。


親の電話にも出られず(これは前からだけど)、脳の動きが格段に悪くなり普通の思考も出来ず、私は学校の近くのアパートで晴れて引きこもりになりました。半同棲状態だった彼氏からは、「今ががんばり時なんじゃないの!?」というありがたいお言葉をいただきましたが、遅いよ!もうボッキボキに折れてるから無理!笑  …ズレ過ぎてて何も言えませんでした。今は心の中でそう突っ込めますが、当時の私にその言葉はショックでした。


授業に関してはパワハラとかではなく、私がなりたかった職業に必要不可欠な自己の考えを主張する訓練だったので、それに耐えられなかった自分が情けなくてとても辛かったです。


まぁ、本当にその職業になりたかったのかは不明ですが。


引きこもりの間は、一日中部屋から出ず(学校の人に会いたくないので最寄りのスーパーにも行けない)、夜に帰ってきた彼氏と少し離れたスーパーに食料を買い物に行く生活。外に出る時はノーメイクでパジャマで誰の顔も見れず下を向いて歩く変質者でした。思えば当時は彼氏以外の人と会話が出来ませんでした。親から電話が着ても言葉が出ず泣くばかりでした。


彼氏が休みの日は現実逃避の為、車でどこかへ出掛けはするけど相変わらずノーメイクでボサボサ頭の変質者スタイル。今思えば危ない女連れての行動を強いられてた彼氏は可哀想だったなぁ。出掛けるのも、ショッピングセンターみたいな所は恐くて入れないので、海とか、寂れた観光地に並ぶ土産物屋を見たりとか。そんなの。


鬱病あるあるは、単純な作業も出来なくなりカレーライスすら作れなくなったことです。まず材料を買わなきゃいけないとかそこからの手順が分からなくなりました。ここまでくると痴呆かなと悩みましたが、鬱病の症状みたいですね。


つらつらと書いてしまいましたが、一人暮らし引きこもり編はこんな感じです。私が経験したのはよくある挫折なんだけど、挫け過ぎて立ち直れなかったんです。それも、一度失敗したら人生終わり思考のせいかなと思います。


その2はまたいつか書きます。