明日起きたくない

物心ついたころから社会が怖くて仕方ない人間のブログ。

引きこもりになった話2

かなり期間が空きましたが、鬱が酷くなり大学院を辞め一人暮らしのアパートで引きこもりになった私の昔話の続きです。


引きこもりになり半年くらいが経ち季節は冬から春になる時、両親にも大学院に行っていないことがバレて学校を辞めることになりました。

私が引きこもりをしていることは家族の誰にも言ってなかったので、学校から電話がいったのかもしれません。

引きこもり以前から両親からの電話には恐くて出られず、無視してしばらくしてから震える手で「電話出られなくてすみません、どうしましたか?」とメールを返してました。


子供の頃から居づらかった実家に戻るのは恐怖でしかなかったのですが、働けない私には他に選択肢が無かったので大学院を辞めアパートを引き払いました。

治るのが遅すぎる!という親の言葉で総合病院の精神科から実家から近い個人精神医の元、薬漬けになりました。


実家では保育園児の時ぶりに母親と一緒に寝ることになりました。帰ったばかりの頃は慣れず、苦痛すぎて一晩中悪夢ばかり見ていました。

今でも覚えている恐ろしい夢の内容は自分の通う学校の同級生が殺されてその犯人が自分の母親だったということが判明し大ショックを受けるとうサスペンス調のお話し。最後に犯人が自分の母親と分かったその時は絶望したなぁ。


そのうち、家を出る前に使っていた部屋に戻っても良いことになり、そこでまた完全な引きこもり生活が始まりました。眠りは過眠に変わっていき、そして昼夜逆転生活になりました。人が活動しているのを見るのが怖いのです。だから昼間はなるべく寝ていました。


色々と当時の生活を話したいのですが、時系列的な記憶が無いのでその後一年近く続く引きこもり生活の断片的なエピソードを書きます。


基本的に日中は常に自室の布団の中にいます。


食事は一日に一回、家にいる母親が台所にいない隙を狙って摂っていました。どんなものを食べていたかは覚えていませんが、母親が私の分も作って置いていたのを食べていたのだと思います。

自室は2階、台所や風呂は1階だったので、食べ物を漁るには階段を昇り降りする必要がありました。一日中寝たきりな私は階段を一日一往復するのについに筋肉痛になってしまいました。廃人の完成です。


しばらくしたら実家の家族にも慣れ、自室から出られるくらい鬱が回復してきました。でも基本的に昼夜逆転生活で家族とあまり会わないようにしていました。当時はアメーバピグにハマっていて、そこで出来た友達と一晩中Skypeしてたりしました。今でもその友達とは仲良しです。


その友達のお陰もあり、段々元気になってくると昼にも起きて行動出来るようになりました。家事を手伝ったり日光浴をしたりしていたと思います。


とりあえず、どの位の期間をどんな風にというのは忘れてしまいましたが回復の段階としては上記のような感じでした。


因みに自殺しそうな人に家族がかける言葉でよく聞かれる、「生きていてくれるだけでいいから」を私もかけてもらいました。


でも、その数ヶ月後には「仕事はどうするの?(イライラ…)」に早変わり。

人の精神はそんなに直ぐには治らないのにね。そんな家族も同じ疾患にかかってるのにね。こっちもなるべく元気に見せようとするからいけなかったのかな。


その点、兄弟は「何か細々とネットで自営業が出来たらいいよねぇ」と言ってくれました。