明日起きたくない

物心ついたころから社会が怖くて仕方ない人間のブログ。

引きこもりの時の話③

仕事に忙殺されていたらあっという間に夏が終わりました。そういえば実家の家族たちは元気かな、産まれたばかりの姪っ子はおチビだったからちゃんと肥ったかな。。


私の実家の家族はこちらから連絡しないと、用がない限り連絡をしてきません。


母がくれた年賀状には、”今年はもっと連絡をとりあったり沢山会いましょう”と書いてありました。一回も連絡こないけど。そういう気持ちが母にあるとハッキリ分かっただけでも良かったのかも。


昔の話ですが、20代前半に引きこもりになって両親との会話もままならなかった時、両親は何故か私に贈り物をしてくれました。母はペイズリー柄の華奢なワンピースと冬用のバッグ。父は私がバイク好きだからとアメリカンバイクの大きな模型を。



でもさ、私はファッションもバイクも好きだったけど当時は古着好きでしかも基本ボーイッシュだったから貰ったワンピースは全く興味のない分野のものだったし、バイクもレーサータイプが好きでアメリカンバイクはどちらかと言うと完全に苦手。


開けた瞬間、どんなリアクションをとればいいのかすごく焦った記憶があります。私はこれが2人の愛情の表し方なんだと分かっていました。それまで2人が私たち兄妹の為に自主的にプレゼントを選んでくれた事は恐らくありませんでしたから。

受け入れるか突っぱねるか悩み。結果、反抗することなんてやはり無理だから、すごーい、ありがとう!とか静かに言って受け入れました。両親は照れくさそうにして、気に入らなかったら使わなくていいんだよ、なんつってた。


そしてその後、私は一人で悲しくなりました。


なんで、物なんだろう。なんで言葉で安心させてくれたり励ましてくれたりしないんだろう。両親は娘が引きこもりになって泣いてばかりでどうしたらいいのか分からなかったのだと思います。何かしようと思って、その結果プレゼントを贈ってくれたのだけど。


結局その少し後、両親からは”おまえの鬱は回復が遅過ぎる!ちょっとおかしいんじゃないか?”とイライラしながら言われ、(治るスピードは人それぞれじゃないのかな…私がおかしいのかな…)とショックを受けつつも両親が鬱で通っている精神科の医院に通うことになりました。その医院の先生は話をハイハイ聞いて患者を薬漬けにするだけのおじいちゃん先生なので、私の鬱はせいぜい中度なのに1日8種類も薬を出される立派なヤク漬けになったのでした。


小さい頃から冷めた家族だと思っていたけれど、両親は不器用なんですね。今になったら、私たち兄妹はちゃんと愛されていたんだ、今も愛されているんだと分かるけれど子供の時分は流石に分かりませんでした。


橋の下で拾ったとか、ゴミに捨てるとか言われてたし(謎の冗談と、悪いことした時に言われていた)。


帰省時、都会へ帰る新幹線の駅で父は30も過ぎた私にお小遣いを渡してくれます。毎回断るけど、「だってさ、地元に居ないんだから何もしてあげられないじゃない」って言われます。まぁ、超ありがたいんでお金は貰ってヘソクリにしています。


その言葉自体が愛情の表れだけれども、遠くに住んでいても出来る愛情表現はお金以外にもあるんじゃないかな。なんて、お金貰っている分際で何ですがそう思ってしまいます…。まだ甘えてる。私が親孝行を沢山するはずの歳なのにね。


万が一、私が子どもを産み育てる事があったら愛している、大好きだよと態度でも言葉でも伝えたいです。思うようにいかないであろうことは百も承知だけど。


今になって、両親に存分に愛されていることは分かったけれど、性格が暗くねじれて育ってしまったわたし。劣等感の塊で自尊心がない。生きづらい。


でも矯正できるのは自分自身しかいないのでやらなければいけないのです。


家から出ず、仕事だけをし、薄給のためなるべくお金を使わずジトジト生きている私も、明るく楽しい毎日を送れるようになれるのかな、そうなりたいな。鬱もその辺も長〜い目で見たら大分マトモになってきたと思いますが、私自身がしんどいのでまだまだです。


長いな、このブログ。